ペガサスタウン上牧町プロフィール

ペガサスタウン 上牧町

 

私たちの町にはおだやかな丘陵地帯が広がり、古代には宮廷の馬が放牧されたところからも思いを馳せていただけるような、のどかな情景がひろがる町ですが、中世には織田信長に叛旗をひるがえした松永久秀の片岡城を攻めるために、明智光秀や筒井順慶らが戦国絵巻を繰り広げたこともありました。

現在は、丘陵地帯を生かした田園風景が広がりバスと電車を乗り継いで大阪の中心部まで1時間以内でいける立地条件から、住宅開発が進み、一時は人口増加率が日本一位を記録したことのあるベッドタウンとして発展しています。このような大きな変化のなかで新しいまちづくりが進んでいます。
 
温泉施設や大型商業施設の開業が相次ぎ、また医療機関や高齢者へのサービス施設なども多数開設されるなど大勢のかたが訪れる町になりました。
 


 

上牧町の位置

 
上牧町は、奈良盆地の西部にあり、町の西側を葛下川が、中央を滝川が流れ、豆山や丘陵地帯が広がるところです。面積は6.14平方キロメートルで、東西2.1キロメートル、南北3.6キロメートルのほぼ長方形です。北は王寺町に、東は河合町、南は広陵町、西は香芝市に接しています。
 
交通アクセス
 
◆電車で…
各地からJR大和路線王寺駅へ、または近鉄大阪線五位堂駅へ。両駅から奈良交通のバスで王寺駅からおおむね20分間隔で、五位堂駅から1時間間隔の便で、約15分です。
◆お車で…
各地から西名阪自動車道香芝ICへ。ICより約10分です。
 


 

上牧町の町章

 

町章上牧の「上」の文字を図案化しています。花を模どった中心部には槙の葉とクローバを組みあわせています。八つの葉はそれぞれ住民の幸福と各種の職業を表しています。また図の中心にレイアウトすることにより町政の大切さを表し、人が輪を作って町の繁栄に協力する姿を表しています。

 


 

 上牧町の樹「槇」/上牧町の花「ささゆり」

 

槙槙の木は庭木としてよく植えられていますが、幹はまっすぐに伸び、葉は密生していて上を向いています。しかも決して下を向かないといわれています。この木のように人の心もまっすぐで、太陽に向かってすばらしい住みよい町作りをイメージしています。また、ササユリは、かつて町内の丘陵地帯に数多く自生していました。ササユリの清楚なイメージから清く美しい心を持ち家庭生活に心の安らぎをおぼえる花として選ばれました。

 


 

上牧町の沿革

 
「かんまき」の呼び名の起こりは、この地一帯がゆるやかな丘陵地帯で放牧に適していたところで上の牧場、下の牧場があったところからと推測できます。「日本書記」「続日本記」によってもそのことがうかがわれます。
 

上牧は当時の宮廷人たちのリゾート地で、しばしその歩を止めたといわれるほど南上牧から井戸ヶ尻に至る眺めはすばらしく、このあたり一帯はすべて古墳だと言われています。元亀・天正の戦乱の時期になると、片岡氏が町内の下牧地区に城(片岡城)を築きました。しかし天正2年、その子孫弥太郎春之のときに松永久秀の軍勢により攻め落とされました。その後、城は松永のものになりました。

 
織田信長配下の松永は信長に反旗を翻し、それにより天正5年に明智光秀や筒井順慶らに攻められ落城しました。 元和以降、町内の上牧地区は藤林代官による四代73年の支配を経て、また下牧地区は本多大内記正勝らの郡山藩の支配を経て、また享保9年、甲府の柳沢甲斐守吉里のもとに上牧地区・下牧地区ともに柳沢郡山藩の支配に移りました。
 
明治4年の廃藩置県で奈良県の上牧村、下牧村となり、明治22年の町村制実施により中筋出作地区を加えて合併し上牧村となりました。

奈良県内18番目の町として上牧町が誕生したのは昭和47年12月のことです。
 
 

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