文化財

上牧

「上牧」の呼び名の起こりは、この地一帯がゆるやかな丘陵に抱かれて、放牧に適したところから出ていることは『日本書紀』や『続日本記』によってうかがわれ、上の牧・下の牧があったとの口碑が残っています。わが国最古の史書『古事記』において、この地は当時の宮廷人達の逍遙の地で、しばしばその歩みを止めたというほど南上牧東南丘から井戸ヶ尻に至る眺めはすばらしく、この辺り一帯の丘は古墳が点在するといわれています。

町内出土の上牧銅鐸

上牧銅鐸江戸時代に上牧町内の観音山から銅鐸が出土したと伝えられています。
今に残る上牧銅鐸ですが、どこから出て、どのようなものでしょうか。
さらに出雲の加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸と兄弟銅鐸と言われている上牧銅鐸を皆さんご存知ですか。

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下牧瓦窯

下牧瓦窯は、県道(桜井・田原本・王寺線)付近での土取り工事中に上牧村史編纂の調査員によって発見された。この連絡を受けて1960年1月に、悪条件ながら奈良時代頃の登り窯1基の存在が奈良県の緊急調査によって確認され、「弘福寺三綱牒」(天平20年)に記された旧広瀬郡内所在の「瓦山一処」、「瓦窯参口」との関連から注目すべき瓦窯遺跡であり、「弘福寺三綱牒」の「瓦山」、「瓦窯」が存在する可能性が高いと報告されている。

上牧久渡古墳群

奈良盆地の西部、馬見丘陵のほぼ中央部に位置する上牧町は、いわゆる片岡の地として古代大和における重要な文化圏を形づくってきました。

この地に所在する上牧久渡古墳群の付近は古代の下・広瀬郡にあたり、この地域には飛鳥・奈良時代の皇室の所領が広がり陵墓も存在したことは古代の木簡や文献で知られているところであり、また、上牧町観音山から「上牧銅鐸」の出土した地でもあります。

上牧町教育委員会では平成23年度に上牧久渡古墳群の試掘・確認調査を行い、平成24年度からは3カ年の計画で確認調査を行ってきました。それらの調査を通して、画文帯環状乳神獣鏡を出土した古墳時代初頭の3号墳から飛鳥時代の2号墳までかなり長期にわたる特色ある古墳が築かれた例のない古墳群であることが明らかとなりました。ここにその調査報告を掲載します。

三軒屋地区北側丘陵地帯の発掘調査

 平成23年1月から3月にかけて、三軒屋地区北側の丘陵地帯において大型店舗建設と宅地造成工事に伴う発掘調査を実施しました。
 広大な面積にわたる開発地内では、事前の踏査時に人為的な平坦地や落ち込み、土塁状の地形などが見られたため鎌倉~戦国時代の山城があったことも考えられました。そのため、丘陵の各所に調査区を設けその存在を確かめるため調査を進めました。
 調査では、近世陶磁器やサヌカイト製火打ち石などが出土しましたが、明確な中世山城の痕跡は認められず、江戸時代以降の開墾による改変地形であったことが確かめられました。

平成22年度埋蔵文化財発掘調査報告書(ファイル形式:PDF サイズ:14MB)