第四章 幻のササユリ

片岡城 笹ゆり姫物語

第四章 幻のササユリ

飯盛山が茜色に染まり赤とんぼが羽を休める静かな黄昏時、今日も竹笛の音が流れている。
「おやっ、姫さまの笛の音が。 
もう、そんな刻かね。そろそろ夕餉(ゆうげ)の支度じゃ」
毎夕、佐葦が景頼の無事を祈って吹く竹笛は時を告げる笛として、すっかり里の暮らしに馴染んでいた。
「姫さま! 姫さまは何処に」すすきの甲高い声が響いた。
「すすき、何をそんなに慌てているのです」
襖の開く音と同時に、
「姫さま、筒井さまからのお使いの方が。すぐに姫さまにお会いしたいと」
「わたくしに?」
慌てて竹笛を紫紺の袋に仕舞うと使者の待つ表に急いだ。
「これは佐葦姫さま、ごきげん麗しく存じます。本日は、殿の使いで参りました」
そして、
「景頼殿、ご無事の知らせにございます・・・」
「え?・・・」
すぐには信じられず、呆然とその場に立ち尽くしていた。
ただ涙が止め処なく溢れ、涙の向こうに景頼の顔が陽炎のようにぼやけて浮かんでいた。
「か! 景頼さま・・景頼さまは・・・ご無事なのですか?」
遅れて駆けつけた寂光の声に、我にかえった佐葦は堰を切ったように泣きくずれた。
「姫さま・・・」
姫のか細い肩を抱きしめ、    
「ささ奥へまいりましょう。三好さま、遠路ご苦労さまでございます。どうぞ奥へお上がり下さい」
奥座敷に通された三好は筒井順慶からの書状を差し出しながら、徐(おもむろ)に語り始めた。 
「あの夜、景頼殿は姫さまと地蔵峠で別れた後、浄安院とは逆の東へと逃げられたが”出合”辺りまで来た時ついに敵に囲まれてしまいました。その中には、槍の名手として名高い海老名の姿もあったとか。多勢との戦いにもはやこれまでと覚悟を決められたその時、突然白い梟が、頭上に現れ」
「えっ、梟が」
「敵が怯んだ隙をみて、闇にまぎれて”新し”の春日さまの境内に逃げ込まれたそうです」
「白い梟ですか」顔を見合わせる佐葦とすすき。
「はい、梟に助けられたと」
「もしや、あの時の梟では、ねえ、すすき」
「それは裏山の観音様が梟にお姿を変えられて、景頼さまをお守りくだされたのです。それで」
「拝殿の隅で夜を明かそうとしていたところを、秋祭りの準備に来た庄屋の”喜兵衛”に助けられ、屋敷で養生を施されたそうでございます」
「景頼さまはご無事なのですね。あの闇夜でお怪我などされなかったのですか」佐葦の弾む声に。
「いえいえ、庄屋の屋敷に運ばれたときには、傷は深く高熱に魘(うな)されもう助からないのではとの話でした。ところが心やさしい庄屋のひとり娘”純(すみ)”と申すものが、桜峠の祠に景頼殿の命乞いに詣でまして・・・」
「それで」と、寂光。
「娘が毎日、祠へ通い続け四十九日目のことでございます。
その日は青空が広がる気持ちのいい朝でした。願をかけ終えた時、突然、厚い雲に覆われあたりが薄暗くなったかと思うと、稲妻が走り雷鳴が轟き始めました。
天へ地へと乱れ走る稲妻が祠の脇のくぼ地にささったかと思うと、大きな水柱が上がりそのまま龍となって天に昇っていきました」
「おおっ、それはまさしく龍神さま」
「龍が厚い雲を押し上げた途端、今度は天が破けたように大雨が降ってまいり、窪地のあちこちからも水が噴出し、またたく間に大きな池に。
その土色に濁る大池に龍神さまがお戻りになると、なんと瞬時に美しく澄んだ水になったそうでございます」
「何と」
「これは魔可不思議と、その聖水を娘は大切に持ち帰り景頼殿にお飲みいただいたところ、やがて熱も下がりお元気になられたそうにございます」
「まあ、そうですか、不思議なこともあるもの。早速、その庄屋殿の屋敷とやらまで」
「ハッ、ハッ、ハッ。姫さま、そんなにお慌てにならずとも。景頼さまはもう”新し”にはおられません」
娘の働きで一命を取りとめ傷も癒えはじめた頃、庄屋の屋敷に身を隠していることが村人の間でも囁かれるようになり、ある夜順慶は大和川に舟を出し、筒井城へ密かに呼び寄せたのである。
城に入った景頼を順慶はひとまず、青垣の山中、福住の出城に移し城の守護に景頼の養生を命じたのであった。
事の始終を聞いた佐葦は安堵の表情を浮かべ、
「景頼さまがご無事なら何も言うことはありません。本日は、遠路ご苦労さまでございました」
すると、三好は背筋をすっと伸ばすと改まった声で、
「いえいえ、姫さま、わたしの務めはまだ終わってはおりません。
この度、私がこちらにお伺いしました殿からの命と申しますのは、佐葦姫さまを無事に景頼殿のもとへお連れするように、とのことにございます」
更に続けて、
「ご門跡、今宵、佐葦姫さまをお連れ申すがよろしいな」
順慶からの書状を読み終えていた寂光は目を潤ませながら、それでも満面の笑みを浮かべて頷いた。
「今宵ですか」
佐葦は喜びから困惑の表情に変わっていく。
「姫さま、寺や子ども達のことはご心配なく、私からよく話しておきますゆえ。それに福住はそれほどに遠くはありません。いつでも戻っていただけますよ。さあ早くご出発のご用意を」
寂光は別れの寂しさを隠し気丈に旅支度をはじめた。
やがて、夜の帳(とばり)があたりをつつむ頃、院を抜け出した一行は、三好の先導で裏山を足早に急いだ。
「佐葦姫さま、大丈夫ですか、山道は歩きにくうございましょうが、三輪街道から箸尾さまの領地にはいるまでのご辛抱です」
「大丈夫です。佐葦はついていけます」
景頼さまに会える。佐葦の一途な思いは険しい山道も苦にならなかった。
ちちぶの湖は静かな水面に月影を映していた。
森を抜け何度か川を渡りようやく東の空が白々と明ける頃、小さな滝の辺の庵に辿り着いた。
「姫さま、ここまでくれば後もう僅か。よくご辛抱くださいました」
庵主の接待を受け、体を休めていると、庵を目指して降りてくる一行に気づいた。
「はて、お武家さまが何のご用でしょう」
列の中ほどで馬に乗る若武者の姿が少しずつ近づいてくる。
「あのお姿は、まさか・・・・・」
庵を飛び出す佐葦。
景頼は立派な装束で佐葦の前に現れた。馬から飛び降りると、まだ癒えぬ左足を引きながら駆け寄り、
「佐葦姫殿・・・・・。」それ以上は声にならない。
「景頼さま」
あれほど会いたい、会いたいと思い続けた愛しい人がいま目の前に。
夢の中と同じ凛々しい姿で。
「佐葦姫殿」
胸元で合わせた白い手を景頼の大きなが手が握りしめた
溢れる涙を拭いもせず見つめ合う二人。
「お会いしとうございました」
「姫さま」すすきは袂で声を押し殺して泣いた。
「これを」佐葦は、地蔵峠で手渡された竹笛を差し出した。
「この笛は、あの夜の」
「はい、景頼さまを信じて今日まで」
手渡された竹笛を暫く見つめたあと、景頼は静かに吹き始めた。
早朝の山里に、美しい笛の音が流れていった。
そして冬の訪れを告げる淡雪の舞う頃。
景頼と佐葦の婚儀が厳(おごそか)かに行われた。白い衣装に身を包んだ姫の姿はまるでササユリのようであった。
ある日、景頼が奥座敷で寛(くつろ)いでいると、嬉しそうに
「今日は、里のものから面白い話しを聞きました。山向こうの狭井川の辺に咲くという幻の〝紅いササユリ〟は幸せを運んでくれるそうな。
佐葦も是非見つけとうございます。景頼さまもご一緒していただけませんか」
「ン・・・よし、わかった。時期がくれば一緒にまいろう」
少し間をおいてからこたえる景頼に、佐葦はなぜか胸騒ぎを覚えた。
やがて、山里は雪に抱かれ静かな眠りに入った。