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片岡城跡

更新日:2025年06月13日

公開日:2022年03月05日

空から見た片岡城跡(南東から)

空から見た片岡城跡(南東から)

戦国時代の片岡城(イメージ図)

戦国時代の片岡城(イメージ図)

片岡城とは

片岡城跡は上牧町の北西部・下牧地区に所在する城跡です。

馬見丘陵北端の標高90mと丘陵内で最も高い地点に築城されました。

城の西側には葛下川、東側には滝川が流れています。これらが城の下側で合流することにより、三方が自然の水濠に囲まれ、要害に適した地形となっています。

また、西は大阪方面、東は田原本・桜井方面に向かう街道に接しており、交通の要地でもありました。

上牧町 位置図

上牧町 位置図

片岡城跡 位置図

片岡城跡 位置図

地蔵横の看板

地蔵横の看板

登り口前の看板

登り口前の看板

片岡城は、16世紀初め頃に片岡国春によって築城されました。

このことは『片岡系図』の国春の名前の下にある「下牧村居城拵」という記載からわかります。

『片岡系図』(『片岡城跡─中世山城の研究』より抜粋)(PDFファイル:716.1KB)

片岡城の構造

最も高いところにある主郭を中心に、曲輪が取り囲むように配置されています。ほかにも土塁や空堀など、当時の山城の姿が現在もよく残っています。

片岡城 縄張図

片岡城 縄張図

片岡城に関する歴史

16世紀初め頃に片岡国春が片岡城を築きました。

永禄12(1569)年、松永久秀が大和を攻めてきた際、片岡城も攻撃を受けました。この時に松永方の城となり、縄張を拡張・改変したと考えられます。

天正5(1577)年、松永久秀が織田信長に謀反を起こします。織田信長は松永久秀を討つこととし、片岡城に攻め込みました。織田軍には明智光秀、細川藤孝・忠興父子、筒井順慶など名だたる武将が攻め込んだことが『信長公記』に記されています。この戦いにより、片岡城は織田方の城となりました。

大和国には戦国時代の城が数多く存在しましたが、城の歴史や関係する武将の名がわかるものは多くありません。しかし、片岡城は様々な文献により、戦いの様子や関係する武将の名が判明しています。このことから、片岡城は上牧町の戦国時代を物語るだけではなく、織田信長の天下統一の戦いの過程にも登場する、歴史上重要な城といえます。

片岡城跡から見つかった遺物

令和2(2020)年、主郭部に桜の植樹を行った際、当時の城や寺院で使われた瓦の破片が見つかりました。この瓦は、唐草文様が施され、縁が高く上がっていることが特徴です。瓦が見つかったことにより、片岡城には瓦葺きの建物が存在していたことが考えられます。

見つかった瓦は、上牧町文化センターで展示しています。

また、片岡城跡にはのぼり旗を設置しており、様々な場所からご覧いただけます。

片岡城ののぼり旗が見える場所(地図)(PDFファイル:735.3KB)

桜・主郭部から出土した瓦片・のぼり旗

『片岡城跡─中世山城の研究』

昭和59(1984)年に発行された、片岡城に関する歴史や文献をまとめた書籍です。

『片岡城跡─中世山城の研究』(PDFファイル:17.4MB)

上牧町片岡城跡活用検討委員会

当町では、令和6年度に上牧町片岡城跡活用検討委員会を設置し、片岡城跡の今後の保存活用の方向性について協議・検討を行いました。

下記リンクより、上牧町片岡城跡活用検討委員会の議事録等をご覧いただけます。

「戦国ロマン片岡城」

再現CG「今、蘇る。戦国時代の片岡城」

戦国時代の片岡城(イメージ図)

戦国時代の片岡城(イメージ図)

片岡城を最新のCG技術を用いて再現しました。

現地にて、所定の場所にスマートフォンをかざしていただくと、かつての片岡城の姿をご覧いただくことができます。

片岡城跡へのアクセス

〇JR和歌山線「畠田駅」から徒歩約10分

畠田駅から片岡城跡までの道案内(PDFファイル:1.2MB)

〇奈良交通バス停「下牧南口」から徒歩約10分

下牧南口から片岡城跡までの道案内(PDFファイル:1.4MB)

 

片岡城跡の近くには休憩処「ほほ笑みサロン片岡」がございます。

休憩スペース・トイレをご利用いただけるほか、片岡城に関するパネルやパンフレットも設置しておりますので、ぜひお立ち寄りください。

 

【注意事項】

現地に駐車場はございません。また、城跡への道は大変幅が狭く、車で行くことはできないため、公共交通機関をご利用ください。

この記事に関するお問い合わせ先

社会教育課
〒639-0293 奈良県北葛城郡上牧町大字上牧3350番地
電話番号:0745-76-2532
ファックス:0745-76-1199

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