片岡城跡

空から見た片岡城跡(南東から)

戦国時代の片岡城(イメージ図)
片岡城とは
片岡城跡は上牧町の北西部・下牧地区に所在する城跡です。
馬見丘陵北端の標高90mと丘陵内で最も高い地点に築城されました。
城の西側には葛下川、東側には滝川が流れています。これらが城の下側で合流することにより、三方が自然の水濠に囲まれ、要害に適した地形となっています。
また、西は大阪方面、東は田原本・桜井方面に向かう街道に接しており、交通の要地でもありました。
上牧町 位置図
片岡城跡 位置図

地蔵横の看板

登り口前の看板
片岡城は、16世紀初め頃に片岡国春によって築城されました。
このことは『片岡系図』の国春の名前の下にある「下牧村居城拵」という記載からわかります。
片岡城の構造
最も高いところにある主郭を中心に、曲輪が取り囲むように配置されています。ほかにも土塁や空堀など、当時の山城の姿が現在もよく残っています。
片岡城 縄張図
片岡城に関する歴史
16世紀初め頃に片岡国春が片岡城を築きました。
永禄12(1569)年、松永久秀が大和を攻めてきた際、片岡城も攻撃を受けました。この時に松永方の城となり、縄張を拡張・改変したと考えられます。
天正5(1577)年、松永久秀が織田信長に謀反を起こします。織田信長は松永久秀を討つこととし、片岡城に攻め込みました。織田軍には明智光秀、細川藤孝・忠興父子、筒井順慶など名だたる武将が攻め込んだことが『信長公記』に記されています。この戦いにより、片岡城は織田方の城となりました。
大和国には戦国時代の城が数多く存在しましたが、城の歴史や関係する武将の名がわかるものは多くありません。しかし、片岡城は様々な文献により、戦いの様子や関係する武将の名が判明しています。このことから、片岡城は上牧町の戦国時代を物語るだけではなく、織田信長の天下統一の戦いの過程にも登場する、歴史上重要な城といえます。
片岡城跡から見つかった遺物
令和2(2020)年、主郭部に桜の植樹を行った際、当時の城や寺院で使われた瓦の破片が見つかりました。この瓦は、唐草文様が施され、縁が高く上がっていることが特徴です。瓦が見つかったことにより、片岡城には瓦葺きの建物が存在していたことが考えられます。
見つかった瓦は、上牧町文化センターで展示しています。
また、片岡城跡にはのぼり旗を設置しており、様々な場所からご覧いただけます。

『片岡城跡─中世山城の研究』
昭和59(1984)年に発行された、片岡城に関する歴史や文献をまとめた書籍です。
上牧町片岡城跡活用検討委員会
当町では、令和6年度に上牧町片岡城跡活用検討委員会を設置し、片岡城跡の今後の保存活用の方向性について協議・検討を行いました。
下記リンクより、上牧町片岡城跡活用検討委員会の議事録等をご覧いただけます。
「戦国ロマン片岡城」
町の広報『広報かんまきー彩愛ー』では、令和6年6月号から令和6年10月号にかけて、コラム「戦国ロマン片岡城」(全5回)を掲載しました。
戦国ロマン片岡城1(令和6年6月号掲載)(PDFファイル:6MB)
戦国ロマン片岡城2(令和6年7月号掲載)(PDFファイル:7.5MB)
戦国ロマン片岡城3(令和6年8月号掲載)(PDFファイル:8.3MB)
再現CG「今、蘇る。戦国時代の片岡城」

戦国時代の片岡城(イメージ図)
片岡城を最新のCG技術を用いて再現しました。
現地にて、所定の場所にスマートフォンをかざしていただくと、かつての片岡城の姿をご覧いただくことができます。
片岡城跡へのアクセス
〇JR和歌山線「畠田駅」から徒歩約10分
畠田駅から片岡城跡までの道案内(PDFファイル:1.2MB)
〇奈良交通バス停「下牧南口」から徒歩約10分
下牧南口から片岡城跡までの道案内(PDFファイル:1.4MB)
片岡城跡の近くには休憩処「ほほ笑みサロン片岡」がございます。
休憩スペース・トイレをご利用いただけるほか、片岡城に関するパネルやパンフレットも設置しておりますので、ぜひお立ち寄りください。
【注意事項】
現地に駐車場はございません。また、城跡への道は大変幅が狭く、車で行くことはできないため、公共交通機関をご利用ください。
この記事に関するお問い合わせ先
社会教育課
〒639-0293 奈良県北葛城郡上牧町大字上牧3350番地
電話番号:0745-76-2532
ファックス:0745-76-1199
メールフォームによるお問い合わせ
更新日:2025年06月13日
公開日:2022年03月05日